キエフからの便り 
 
  −ウクライナ大統領選挙後の情勢について−
 
以下に紹介します今回のウクライナ大統領選挙をめぐる情勢の速報と写真は、キエフ在住の研究会会員から届いたものです。ウクライナ大統領選挙後の動きは、1991年12月にウクライナが独立して以来、最大の政治的な高揚であり、今後のウクライナが何処へ行くのかを決定する歴史的な動きであることは確かですし、日本でも新聞テレビで連日報道されています。その中で、今回掲載しますキエフからの便りは、ウクライナ研究の専門家による現場からの報告として、貴重な観察と独自の視点が示されていますので、急遽、本人のご了解をえて掲載することにしました。
ウクライナ研究会HP管理担当運営委員
 
 
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2004年度大統領選挙関係サイト

 ウクライナ大統領選挙後の情勢、特に野党候補ユーシチェンコ支持者によるのデモについては日本でも連日報道されていますが、依然として「親ロシア対親EU」の対立が最大の焦点と報じられたりしています。確かに現首相ヤヌコーヴィチ候補は東ウクライナ出身である上、プーチン・ロシア大統領の事実上の支持を得ており、その一方でユーシチェンコ候補は欧米との関係を相対的に重視していると言えます。しかし、それは一つの要因に過ぎず、デモが起きている本質は「オリガーキー体制を認める守旧派 対 民主化完結を目指す改革派」の対立です。人々は、ロシアなのか、EUなのか、という選択で街に出ている訳ではなくて、今回の大統領選挙において、不正をしてでも守旧派が権力にしがみつこうとしたヤヌコーヴィチ候補と現政権に対して怒りを顕わにしているのです。

 野党ユーシチェンコ派のデモは最大で50万人規模で、恒常化そしてお祭りと化しています。最初は「お祭り」か「革命ごっこ」かと思っていましたが、実はこれが長期戦に備えた戦略だったようです。

 地方からも人が出てきて、街中、ユーシチェンコ派のシンボル、オレンジのリボンや旗を持った人、車で日に日ににぎやかになっています。キエフ中心部の独立広場は、氷点下の寒さでも一日中熱気に満ちており、フレシャチク通りにはテント村も現れました。それでも、人々はとても秩序だっており、礼儀正しく、自主的に役割分担(交通整理、ごみ拾い、炊き出しなど)が出来ていて、お互いに声を掛け合っていて、好感すら感じます。また、これほど大規模のデモであるにもかかわらず、警察官が極端に少なく感じられます。

「ウクライナ会館」など公共の設備の一部は、地方から出てきた人たちのための情報センターになっています。民宿の紹介、食料や暖かい服の配給、休憩所、情勢の提供などを行っています。

 選挙前はメディアの偏向が非常に大きな問題と指摘されていました。キエフでユーシチェンコ派の集会が開かれても、国営テレビなどは一切無視でした。ユーシチェンコ派の動向を正確に報じるテレビ局は弱小な1局だけでしたが、野党デモの激化をきっかけにジャーナリストたちも次々と検閲や圧力に反する声明を出し、最初は「キエフ・テレビ」が、 そして国営テレビ、「1+1」、インテルなどの主要テレビ局もユーシチェンコ派の動向を伝えるようになりました。

 現首相候補ヤヌコーヴィチ派もデモ隊を集めていますが、どうも上手くいっていません。東ウクライナからバスなどで人をキエフに集めていますが、ユーシチェンコ派のデモから暖かいもてなしを受けて、話し合って、場合によってはユーシチェンコの方に合流したりもしています。ただ、ヤヌコーヴィチ候補の出身地であるドネツク州など東部地域では、今でもヤヌコーヴィチ派に対する熱烈な支持があるのも事実です。

 不正の指摘や仲介者の派遣など、国際社会を動かしたという点でユーシチェンコ派の戦略は成功したように思います。EUなどの仲介でヤヌコーヴィチ、ユーシチェンコ、クチマ現大統領、リトヴィン最高会議議長の4者会談が成立し、27日にはついに最高会議で大統領選は無効だったと決議されました。まだ予断は許されない状況ですが、大統領選から大規模デモ、そしてその収拾を経て真の民主主義に至るこれからの過程がウクライナ史上のみならず、世界史的な意義があると考えられます。